ゆっくり流れる川の水に自分自身を映してみると涙が出てきてしまう。心が洗われる気がする。それは限りなく静かで、流れが確実に時を刻む。水の量には、底知れない力を感じ、ひとつの流れに従うは信念すら覚えてしまう。
二十歳の若者が「人生、生きていくのが辛いから」という理由で投身自殺した記事をみつけた。人生というものの何がわかっていたのだろうか。その若者にとって、「死ぬより辛いこと」って何だったんだろうか。リセットすれば、またやり直しができるゲームとかじゃない。現実から逃避したところで何も解決しない。それよりも彼を育てた多くの大人たちの悲しみは彼にはわからないんだろう。彼は、悲しませた事の責任は何も取らないで、済ませてしまうのだろう。
最近の若者たちは私たちの頃より確かに賢い。されど些細なことに拘ってはいないか。それは、余りに経験に貧しく知識に乏しいからじゃないだろうか。今という時間軸なら「些細なこと=大切なこと」に思えるのだろう。それは、彼らにとって譲れないことで命より大切なことなのだろう。しかし、「譲れないこと=辛いこと」の先にあるものを見つけ出して、それに向かって進めば、解決は容易く、心の隙間を補えられるだろう。確かに知識ある大人たちは、「みちしるべ」を示す責任があり、経験のある大人たちは導く使命がある。
誰のための人生なのだろう。
他人の評価が気になるのか、気にしても、しなくても他人は勝手に評価してしまう。偽りや嘘はどこかで躓いてしまう。どこまでも背伸びして生きていられない。結局、自分は自分自身でしかない。これまでの人生、周りに合わせて生きて来たのだろう。どこかで無理を背負って来たに違いない。だから若者はバランスが可笑しくなってしまうのだろう。
最近、みんな「何か」を気にして生きているような気がする。 気にかけなくても良いものを気にしているのではないだろうか。
若者よ「ゆっくり流れる大河を見た事があるか?」
私は、こんな流れに自分自身を合わせて生きて行きたい・・・・・
不動堂
